2009年10月16日
PortMacquarie-Sydney
1999年3月1日 雨のちくもり ポートマッコーリーからシドニー
今朝も雨音で目が覚めた。
ラウンジに用意されていたフリーのコーヒーを飲みながら、ふと時計を見たら8時・・
あれ?オイラの腕時計は7時だよ?VTRの時計も8時を示していた・・
その差1時間・・・という事は今日まで時差を修正していなかったのだ・・(オーストラリアと日本の時差は1時間)
確かに夕方暗くなるのが早いヨナァと感じていたのだが、飛行機の中で到着してから直せばいいやと思っていたのが結局そのままだったのだ。
朝食にラーメンを食べ、カナダ人のチャリダー(自転車で旅している人)と立ち話、雨の中で自転車漕ぐのは大変だろうからとレトルトの味噌汁を1つプレゼントした。
雨の中で荷物を積み込み出発。
海沿いの道を走る、途中で道を間違えてDicksHillのあたりに出てしまい行き止まりUターン、途中でGASが心配でダイヤモンドヘッド辺りからルート1に戻るつもりだったのが、この道はナショナルパークを突っ切る道なのでおそらくダート(未舗装)、雨の中でダートを突っ切るのは勘弁願いたいのでlaurietonからルート1に戻った。
昨日からクィーンズランド州を抜けてニューサウスウェールズ州に入っている。
シドニーまではあと400kmくらい、楽勝のつもりがこのロストルートで1時間近く無駄足だった。
どこにも寄らずひたすら南下した。
昨日から気になっていたのだが、バイクの油温が130度位まで上昇してアイドルの2000回転位でもたまにオイルランプが点いている、点いたり消えたりしているのだが計器の故障ではなく、どうやら本当にエンジンオイルが無くなっているらしい。
余り回転数を上げないよう100キロ位で走る。
NewCastleiに着いたので街へ寄り道、ウールワースでオイルを探した。しかしここのウーリーは品揃えが十分ではなく、何故か蚊取り線香を買って店をでた。
あとはひたすらシドニーを目指した。
道もバイパスが多くなり4車線化した、中央分離帯もありハイウェイらしくなってきた。
※オースラリアのハイウェイとは日本の対向二車線道路と同じスケール
途中のパーキングのトイレで雨具を脱ぐ、が、すぐにまた雨が降り出したのでハイウェイの橋のしたで着る。

なんとかシドニーに入りシティを目指す。
交通量も多くなり、道なりに走っていたら・・・ベイトンネル・・・こりゃイカンと車線変更したら・・・
ハーバーブリッジに突入してしまった・・・
出口で2A$の出費、まぁ記念とする。
セントラルステーションを目指して走るが、どこがどこだか分からない、セントラルYHAの前に出たので地図で探すが全然わからない。しばらく盲目で走るとエリザベス通りに出た。
通り伝いにセレブレーション通(今思えばすごい名前の通り)に出ることが出来たが肝心の目的地「東京ビレッジ」が分らない。
紆余曲折を繰返し、もう一度確認しようと止まったら・・・
「東京ビレッジバックパッカーズ」の前だった・・・・
東京ビレッジBPはシドニーでは有名な日本人が多く集まる安宿だ。
建物も綺麗とは言いがたく、中も余り広くないが裏にはガレージがあって安全にバイクを止められるので良かった。というかシドニーで一晩路上駐車なんかしていたらバイクごと盗まれてしまうのがオチだ。
「バイクでシドニーに滞在するなら東京ビレッジに行け」というのが旅の間に仕入れた情報だった。

東京ビレッジ裏のガレージ入口「必ず施錠」と日本語で書いてある・・・

旅の途中で出会った日本人ライダー「サトル」、サトルはIT系企業を辞めてOZに走りに来た、日本から愛車「SUZUKI ジョベル」を持って来たツワモノだ。ナンバーは国際ナンバー

サトルとトオルとボク、ケアンズで会ったトオルとはこの時期にシドニーで再会する約束だったのだ。
トオルはここで旅を終え、バイクを処分して帰国するのだ。
旅の途中で出会っていた日本人ライダー「サトル」はボクより早くシドニー入りしており、ベッドはボクの上だった・・・つまりボクの前にここに来たという事。

東京ビレッジにはワーホリ中心だが沢山の若者が集まっていた。
女の子も多い、日本人は群れる、というよりもこういう情報拠点になる場所には自然に人が集まってくるのだ。西から東へ行く者、東から西へ行く者、ここに長居するもの、さまざまだ。
そして安宿では「シェア飯」という貧乏旅行者にはありがたい共同炊飯で食費を安く上げられるというメリットもある。
ボクやトオルは学生ワーホリではなく、それなりにお金を持っているツーリストだから学生ワーホリ諸君のシェア飯にはほとんど参加しなかった。
東京でBARのオーナーをやっているトオルは店をセカンドに任せて旅に来ている、僕らは夜の街に出てあてもなくウロツイテ行き着いた先にある店で食事をしていた。
ある日、いつもと反対方向へ歩いていくと店らしい店が無い、仕方なく飛び込んだ店にはレバニーズと書かれていた。ナントそこはレバノン料理の店だった・・・
野菜料理の多いメニューだったが日本人の口には余り合う味ではなかった・・・
オーストラリアは移民の国、世界各地からの移民が住み、それぞれの家庭料理を食べさせるような小さな店が沢山あった。
シドニーのチャイナタウンでは日本食に近い食事も得られたが、僕らはせっかくのOZなのでいろんな店に飛び込んでは撃沈され、VBで誤魔化していた。

東京ビレッジに長く滞在しているという女の子、カワイイ子もたくさん居ました。
皆それぞれ思うトコあって日本を離れている、その理由もそれぞれ・・・
そんな輩が集まって酒を飲み交わしている東京ビレッジ・・・
でもボクが長居するトコじゃないな・・・

トオルが乗っていたスズキDR350の新しいオーナーは「シンプソン日高」、奴は過去にも一度OZを走ったことがあるらしい、そのリベンジに来たそうで昔の仲間から呼ばれた名前がシンプソン
まぁそんな一時が人生にあってもいいよね。
オーストラリアの車やバイク事情は日本とは全く違う、新車を買うならともかく、中古であっても店で買うと高いのだ。人々は専ら新聞の売買コーナーで個人売買するのが一般的なのだ。
個人売買は当然リスクがある、安く買ってもボロボロのどうしようもないバイクだったりすると修理にまたすごく金がかかる、だから日本人から程度の分るバイクを直接買った方が利口なのだ。
そしてバイクメーカーの窓口はメルボルン、品数の面からも田舎のケアンズよりシドニーやメルボルンの方が選べる、だからこの国でバイクの旅をするのならメルボルンかシドニーに来てバイクを入手するのが正しかったようだ。
ボクも予め分っていたのなら、オンロードではなくオフロードバイクを買ったであろうから・・
オンロードバイク・・・まぁ2週間もすりゃ飽きるのだ。
トオルはバイクを売った現金を持っているが間もなく帰国
ボクはまだこれから長い旅で日本円も持っている、お互いの思惑は一致した。
東京ビレッジで仲良くなった数人と街へ遊びに出かけることになった。
今朝も雨音で目が覚めた。
ラウンジに用意されていたフリーのコーヒーを飲みながら、ふと時計を見たら8時・・
あれ?オイラの腕時計は7時だよ?VTRの時計も8時を示していた・・
その差1時間・・・という事は今日まで時差を修正していなかったのだ・・(オーストラリアと日本の時差は1時間)
確かに夕方暗くなるのが早いヨナァと感じていたのだが、飛行機の中で到着してから直せばいいやと思っていたのが結局そのままだったのだ。
朝食にラーメンを食べ、カナダ人のチャリダー(自転車で旅している人)と立ち話、雨の中で自転車漕ぐのは大変だろうからとレトルトの味噌汁を1つプレゼントした。
雨の中で荷物を積み込み出発。
海沿いの道を走る、途中で道を間違えてDicksHillのあたりに出てしまい行き止まりUターン、途中でGASが心配でダイヤモンドヘッド辺りからルート1に戻るつもりだったのが、この道はナショナルパークを突っ切る道なのでおそらくダート(未舗装)、雨の中でダートを突っ切るのは勘弁願いたいのでlaurietonからルート1に戻った。
昨日からクィーンズランド州を抜けてニューサウスウェールズ州に入っている。
シドニーまではあと400kmくらい、楽勝のつもりがこのロストルートで1時間近く無駄足だった。
どこにも寄らずひたすら南下した。
昨日から気になっていたのだが、バイクの油温が130度位まで上昇してアイドルの2000回転位でもたまにオイルランプが点いている、点いたり消えたりしているのだが計器の故障ではなく、どうやら本当にエンジンオイルが無くなっているらしい。
余り回転数を上げないよう100キロ位で走る。
NewCastleiに着いたので街へ寄り道、ウールワースでオイルを探した。しかしここのウーリーは品揃えが十分ではなく、何故か蚊取り線香を買って店をでた。
あとはひたすらシドニーを目指した。
道もバイパスが多くなり4車線化した、中央分離帯もありハイウェイらしくなってきた。
※オースラリアのハイウェイとは日本の対向二車線道路と同じスケール
途中のパーキングのトイレで雨具を脱ぐ、が、すぐにまた雨が降り出したのでハイウェイの橋のしたで着る。

なんとかシドニーに入りシティを目指す。
交通量も多くなり、道なりに走っていたら・・・ベイトンネル・・・こりゃイカンと車線変更したら・・・
ハーバーブリッジに突入してしまった・・・
出口で2A$の出費、まぁ記念とする。
セントラルステーションを目指して走るが、どこがどこだか分からない、セントラルYHAの前に出たので地図で探すが全然わからない。しばらく盲目で走るとエリザベス通りに出た。
通り伝いにセレブレーション通(今思えばすごい名前の通り)に出ることが出来たが肝心の目的地「東京ビレッジ」が分らない。
紆余曲折を繰返し、もう一度確認しようと止まったら・・・
「東京ビレッジバックパッカーズ」の前だった・・・・
東京ビレッジBPはシドニーでは有名な日本人が多く集まる安宿だ。
建物も綺麗とは言いがたく、中も余り広くないが裏にはガレージがあって安全にバイクを止められるので良かった。というかシドニーで一晩路上駐車なんかしていたらバイクごと盗まれてしまうのがオチだ。
「バイクでシドニーに滞在するなら東京ビレッジに行け」というのが旅の間に仕入れた情報だった。

東京ビレッジ裏のガレージ入口「必ず施錠」と日本語で書いてある・・・

旅の途中で出会った日本人ライダー「サトル」、サトルはIT系企業を辞めてOZに走りに来た、日本から愛車「SUZUKI ジョベル」を持って来たツワモノだ。ナンバーは国際ナンバー

サトルとトオルとボク、ケアンズで会ったトオルとはこの時期にシドニーで再会する約束だったのだ。
トオルはここで旅を終え、バイクを処分して帰国するのだ。
旅の途中で出会っていた日本人ライダー「サトル」はボクより早くシドニー入りしており、ベッドはボクの上だった・・・つまりボクの前にここに来たという事。

東京ビレッジにはワーホリ中心だが沢山の若者が集まっていた。
女の子も多い、日本人は群れる、というよりもこういう情報拠点になる場所には自然に人が集まってくるのだ。西から東へ行く者、東から西へ行く者、ここに長居するもの、さまざまだ。
そして安宿では「シェア飯」という貧乏旅行者にはありがたい共同炊飯で食費を安く上げられるというメリットもある。
ボクやトオルは学生ワーホリではなく、それなりにお金を持っているツーリストだから学生ワーホリ諸君のシェア飯にはほとんど参加しなかった。
東京でBARのオーナーをやっているトオルは店をセカンドに任せて旅に来ている、僕らは夜の街に出てあてもなくウロツイテ行き着いた先にある店で食事をしていた。
ある日、いつもと反対方向へ歩いていくと店らしい店が無い、仕方なく飛び込んだ店にはレバニーズと書かれていた。ナントそこはレバノン料理の店だった・・・
野菜料理の多いメニューだったが日本人の口には余り合う味ではなかった・・・
オーストラリアは移民の国、世界各地からの移民が住み、それぞれの家庭料理を食べさせるような小さな店が沢山あった。
シドニーのチャイナタウンでは日本食に近い食事も得られたが、僕らはせっかくのOZなのでいろんな店に飛び込んでは撃沈され、VBで誤魔化していた。

東京ビレッジに長く滞在しているという女の子、カワイイ子もたくさん居ました。
皆それぞれ思うトコあって日本を離れている、その理由もそれぞれ・・・
そんな輩が集まって酒を飲み交わしている東京ビレッジ・・・
でもボクが長居するトコじゃないな・・・

トオルが乗っていたスズキDR350の新しいオーナーは「シンプソン日高」、奴は過去にも一度OZを走ったことがあるらしい、そのリベンジに来たそうで昔の仲間から呼ばれた名前がシンプソン
まぁそんな一時が人生にあってもいいよね。
オーストラリアの車やバイク事情は日本とは全く違う、新車を買うならともかく、中古であっても店で買うと高いのだ。人々は専ら新聞の売買コーナーで個人売買するのが一般的なのだ。
個人売買は当然リスクがある、安く買ってもボロボロのどうしようもないバイクだったりすると修理にまたすごく金がかかる、だから日本人から程度の分るバイクを直接買った方が利口なのだ。
そしてバイクメーカーの窓口はメルボルン、品数の面からも田舎のケアンズよりシドニーやメルボルンの方が選べる、だからこの国でバイクの旅をするのならメルボルンかシドニーに来てバイクを入手するのが正しかったようだ。
ボクも予め分っていたのなら、オンロードではなくオフロードバイクを買ったであろうから・・
オンロードバイク・・・まぁ2週間もすりゃ飽きるのだ。
トオルはバイクを売った現金を持っているが間もなく帰国
ボクはまだこれから長い旅で日本円も持っている、お互いの思惑は一致した。
東京ビレッジで仲良くなった数人と街へ遊びに出かけることになった。
Portcampbell-Dartmoor
イースターの思い出
Melborune-PortCambell
Philipisland-Melbourne
Melbourne-Philip Island
99F1開幕戦オーストラリアGP
イースターの思い出
Melborune-PortCambell
Philipisland-Melbourne
Melbourne-Philip Island
99F1開幕戦オーストラリアGP
Posted by ペーター at 11:50│Comments(0)
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