2010年06月27日
アルベリーの悲劇
1999年3月5日 快晴 st14952k
ケアンズスタートは11800kなのでここまで3100キロ走ってますね。

今日も昨日と同じ位悲惨な目にあった、まぁ自業自得ではあるが・・・
朝もそこそこにテントを撤収し、そそくさと出発する。テントサイトの料金を徴収に来られると困るからだ、いや別に困るわけではないが・・・
朝早くおじさんが車でやって来て何か言っていた。よくわからないが、どうやらシャワールームやトイレのカギは持っているのか?みたいな事を言っていたんだろうと・・・
キャラバンパークは要はキャンプ場、システムはいろいろある。
管理人が常駐していないようなところだと、トイレやシャワーブースのある建物にはカギがかかっていて、チェックインの際にドアを開けて使う為のキーを貸与されたりする。
カギはオートロックなので、お金を払っている利用者しか使えないようにしている訳だ。
カギ持ってんのか?と尋ねてくる位だからコイツにカギ渡して料金を徴収するつもりかも知れないので、とっととズラかったという次第。
昨夜給油したスタンドに行ってタイヤに空気を入れる。
1.6k位まで減っていた、ダートを走ったせいだろうか?
フロント2.2、リア2.8にセットし一路ゴールバーンへ。
今日は快晴、道もシールドになったし文句なし。
路肩にはCrookwell wind farmの大型風力発電機が7基廻っていた。ここは風が強い場所なのだった。

Goulburnに着きルート31へ出る、しばらく走ると、メルボルンへ続くR31と首都キャンベラに続くR23の分岐点がある。姉夫妻が住んでいるキャンベラには向かわずYASSへ抜けた。
義兄は霞ヶ関の官僚様だ、長野オリンピックの仕事をした後、国費留学でキャンベラに来ていた。
しかし私の単独バイクによる放浪旅は彼らにとっては迷惑この上ない事だったらしい。
修学旅行のように毎日の行程を詳細に記したような旅行以外は認められないらしい。
結果私は義兄夫妻から絶縁され「入国を拒否する」とまで言われて来た、彼もバカなものだ。
私を入国させるのかどうかはオーストラリア政府が決めることであって、幾ら彼が官僚様の留学生だからと日本大使館にさえそんな影響力があるはずもない。
私の日本人としての権利を阻害することなど出来ないし、しようとする方が間違いだ。
「オマエがこっちで事故など起こしたら、こっちが色々と迷惑する」というのが彼らの主張だった。
ふーん、オーストラリア政府にしろ日本大使館にしろ、事故を起こした若者の身内が国内に居住している事実などどうやって知り得ると言うのだろうか?私のパスポートに彼らの事など微塵も書かれていない、私が殺されたとしても、その連絡は日本の実家に行くことはあっても、戸籍が違う彼らのところへ行く由も無いのだ。
自分の出世の事しか頭に無いのだろうか?
「おう、やりたいだけやれ、何かあったらいつでもココに連絡して来い」
とでも言われれば、私は数日置きにでも現在地と行く先を彼らに電話していた事だろう。
結果として彼らは「義弟が大陸のどこかをバイクで走り回っている、事故を起こすかもしれない」というリスクを負う事になったのだ。
それ以来現在に至るまで、私は義兄と口を聞いていない。親を通じて情報は向うに行っているらしいが向うは出世で忙しいらしい。まぁ麻生総理誕生とかありましからねぇ。

しばらく走ってガンダガイという町に着いた、そこにあったマクドナルド・・・
オーストラリアと言えばコイツというほどポピュラーな風車
その風車がマクドナルドカラーに・・・すげー
ちなみにこの風車は地下水を汲み上げるための風車です。
汲み上げた地下水は家畜の飲料水になります。
ALBURYを過ぎた頃、制限速度110キロの道でロードトレインに追いついた。
そのロードトレインを130キロ位で追い越ししたところ、路肩にホールデンのパトカーが止まっていた。
そいつが青色灯を廻して追いかけて来た・・・
へっ?
ポリスに止められ「129k、スピード違反だ」と言われる。
カタコトの英語でロードトレインを追い越したんだ、130キロくらい出さないと危なくて抜けないだろう?
と食い下がってみたが、違反は違反だ、TakeAwayでもリミットは110だと反則キップを切られた。
罰金をポストオフィスで支払えとの事、渋々サインするしかなかった。
ああついてねぇ・・・そこからは時速100キロでゆっくりとメルボルンに向かった・・・
メルボルンで開幕したF1を見ようと皆すっとばして向かうらしい、だからポリスも取締りをしていた訳ですがまんまとやられてしまったのでした。
後で聞いた話だと、英語が全く分からないとシラを切り通したツワモノとかいるらしい。
また罰金も国外へ出てしまえば追っかけてこようが無いらしく、支払わずに帰国する事もできたようだ。
私はその辺りの事情が良く分からなかったのでメルボルンに着いて支払いましたけどね。
夕方にメルボルン到着、持っている地図は大まかなグレハンマップしかなかったがシティセンターまでは楽勝で行けました。メルボルンには路面電車が走っていて交通は大変、あっこっちで渋滞。なんとか案内所にたどり着いたもののオフィスは5時半でクローズしてしまっている。
ガーン、MAP無しでどーせいっちゅーねん。
※オーストラリアには日本の住宅地図のような詳細な地図は当時存在しません。
仕方ないので地球の歩き方の本に載っているバックパッカーズやユースホステルを手当たり次第に電話、全滅、当たり前だF1やってんのに・・
市内で迷子になりつつR31を戻る、気付いたらR8とか走ってた。
スタンドで給油しつつキャラパーの場所を尋ねる、「エリザベスストリートにあるよ」というおじさんの情報を信用せずに走っていると標識、それに従って走っているとおじさんの言っていたキャラパーがあった。
しかしFullで断わられる、なんでバイク一台とテントスペースだけなのにダメなの?
キャラパーのおばさんがR31を戻るとあると教えてくれた、先ほどの道へ引き返す。
1つ目、NoVacancyでOfficeClose、2つ目無人オフィス、3つ目NoVacancyでOfficeCloseだったけどゲートが開いていたのを良いことに勝手に潜り込み。
奥の草地のテントサイトに2つのテント、1つはZZR1100のライダー、ええい構わんと勝手にテントを張ろうとしていたらライダーの兄ちゃんが出てきて立ち話。
勝手にテントで泊まって明日逃げよ、しっかしメルボルンの3月は寒いのでした。
ケアンズスタートは11800kなのでここまで3100キロ走ってますね。

今日も昨日と同じ位悲惨な目にあった、まぁ自業自得ではあるが・・・
朝もそこそこにテントを撤収し、そそくさと出発する。テントサイトの料金を徴収に来られると困るからだ、いや別に困るわけではないが・・・
朝早くおじさんが車でやって来て何か言っていた。よくわからないが、どうやらシャワールームやトイレのカギは持っているのか?みたいな事を言っていたんだろうと・・・
キャラバンパークは要はキャンプ場、システムはいろいろある。
管理人が常駐していないようなところだと、トイレやシャワーブースのある建物にはカギがかかっていて、チェックインの際にドアを開けて使う為のキーを貸与されたりする。
カギはオートロックなので、お金を払っている利用者しか使えないようにしている訳だ。
カギ持ってんのか?と尋ねてくる位だからコイツにカギ渡して料金を徴収するつもりかも知れないので、とっととズラかったという次第。
昨夜給油したスタンドに行ってタイヤに空気を入れる。
1.6k位まで減っていた、ダートを走ったせいだろうか?
フロント2.2、リア2.8にセットし一路ゴールバーンへ。
今日は快晴、道もシールドになったし文句なし。
路肩にはCrookwell wind farmの大型風力発電機が7基廻っていた。ここは風が強い場所なのだった。

Goulburnに着きルート31へ出る、しばらく走ると、メルボルンへ続くR31と首都キャンベラに続くR23の分岐点がある。姉夫妻が住んでいるキャンベラには向かわずYASSへ抜けた。
義兄は霞ヶ関の官僚様だ、長野オリンピックの仕事をした後、国費留学でキャンベラに来ていた。
しかし私の単独バイクによる放浪旅は彼らにとっては迷惑この上ない事だったらしい。
修学旅行のように毎日の行程を詳細に記したような旅行以外は認められないらしい。
結果私は義兄夫妻から絶縁され「入国を拒否する」とまで言われて来た、彼もバカなものだ。
私を入国させるのかどうかはオーストラリア政府が決めることであって、幾ら彼が官僚様の留学生だからと日本大使館にさえそんな影響力があるはずもない。
私の日本人としての権利を阻害することなど出来ないし、しようとする方が間違いだ。
「オマエがこっちで事故など起こしたら、こっちが色々と迷惑する」というのが彼らの主張だった。
ふーん、オーストラリア政府にしろ日本大使館にしろ、事故を起こした若者の身内が国内に居住している事実などどうやって知り得ると言うのだろうか?私のパスポートに彼らの事など微塵も書かれていない、私が殺されたとしても、その連絡は日本の実家に行くことはあっても、戸籍が違う彼らのところへ行く由も無いのだ。
自分の出世の事しか頭に無いのだろうか?
「おう、やりたいだけやれ、何かあったらいつでもココに連絡して来い」
とでも言われれば、私は数日置きにでも現在地と行く先を彼らに電話していた事だろう。
結果として彼らは「義弟が大陸のどこかをバイクで走り回っている、事故を起こすかもしれない」というリスクを負う事になったのだ。
それ以来現在に至るまで、私は義兄と口を聞いていない。親を通じて情報は向うに行っているらしいが向うは出世で忙しいらしい。まぁ麻生総理誕生とかありましからねぇ。

しばらく走ってガンダガイという町に着いた、そこにあったマクドナルド・・・
オーストラリアと言えばコイツというほどポピュラーな風車
その風車がマクドナルドカラーに・・・すげー
ちなみにこの風車は地下水を汲み上げるための風車です。
汲み上げた地下水は家畜の飲料水になります。
ALBURYを過ぎた頃、制限速度110キロの道でロードトレインに追いついた。
そのロードトレインを130キロ位で追い越ししたところ、路肩にホールデンのパトカーが止まっていた。
そいつが青色灯を廻して追いかけて来た・・・
へっ?
ポリスに止められ「129k、スピード違反だ」と言われる。
カタコトの英語でロードトレインを追い越したんだ、130キロくらい出さないと危なくて抜けないだろう?
と食い下がってみたが、違反は違反だ、TakeAwayでもリミットは110だと反則キップを切られた。
罰金をポストオフィスで支払えとの事、渋々サインするしかなかった。
ああついてねぇ・・・そこからは時速100キロでゆっくりとメルボルンに向かった・・・
メルボルンで開幕したF1を見ようと皆すっとばして向かうらしい、だからポリスも取締りをしていた訳ですがまんまとやられてしまったのでした。
後で聞いた話だと、英語が全く分からないとシラを切り通したツワモノとかいるらしい。
また罰金も国外へ出てしまえば追っかけてこようが無いらしく、支払わずに帰国する事もできたようだ。
私はその辺りの事情が良く分からなかったのでメルボルンに着いて支払いましたけどね。
夕方にメルボルン到着、持っている地図は大まかなグレハンマップしかなかったがシティセンターまでは楽勝で行けました。メルボルンには路面電車が走っていて交通は大変、あっこっちで渋滞。なんとか案内所にたどり着いたもののオフィスは5時半でクローズしてしまっている。
ガーン、MAP無しでどーせいっちゅーねん。
※オーストラリアには日本の住宅地図のような詳細な地図は当時存在しません。
仕方ないので地球の歩き方の本に載っているバックパッカーズやユースホステルを手当たり次第に電話、全滅、当たり前だF1やってんのに・・
市内で迷子になりつつR31を戻る、気付いたらR8とか走ってた。
スタンドで給油しつつキャラパーの場所を尋ねる、「エリザベスストリートにあるよ」というおじさんの情報を信用せずに走っていると標識、それに従って走っているとおじさんの言っていたキャラパーがあった。
しかしFullで断わられる、なんでバイク一台とテントスペースだけなのにダメなの?
キャラパーのおばさんがR31を戻るとあると教えてくれた、先ほどの道へ引き返す。
1つ目、NoVacancyでOfficeClose、2つ目無人オフィス、3つ目NoVacancyでOfficeCloseだったけどゲートが開いていたのを良いことに勝手に潜り込み。
奥の草地のテントサイトに2つのテント、1つはZZR1100のライダー、ええい構わんと勝手にテントを張ろうとしていたらライダーの兄ちゃんが出てきて立ち話。
勝手にテントで泊まって明日逃げよ、しっかしメルボルンの3月は寒いのでした。
Portcampbell-Dartmoor
イースターの思い出
Melborune-PortCambell
Philipisland-Melbourne
Melbourne-Philip Island
99F1開幕戦オーストラリアGP
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Posted by ペーター at 00:01│Comments(0)
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