2008年12月20日

覚えているうちに残しておこう

目が覚めると見慣れない風景だった・・・
アレ?ここはどこだ?
一瞬そんな感じだった、すぐに自分の置かれている状況を思い出した。
僕は今たった一人でオーストラリアのケアンズにあるカサベラバックパッカーズのドミトリーに居るのだ。

昨夜遅く、成田からの直行便でケアンズに着いた。
僕が最初にやったことは空港内の売店で小額の買い物をトラベラーズチェックで済ませ、OZ$の現金を入手することだった。
そして公衆電話で予め狙っていたカサベラバックパッカーズに電話
「今夜空き部屋はありますか?」
「skla;eipdowekdls;k・・・」
何言っているのかよく分からないけど、取り敢えずOKみたいだ。
僕はタクシーに乗って宿に向かった・・・
バックパッカーズに泊まる事も、ドミトリーに入ることも全ては初めての体験だ。
海外は学生の卒業旅行でヨーロッパ、そして姉の結婚式でハワイには行った事があった。
でも単身での渡航は初めてだ。

30歳を意識するようになって色々と人生を考えた。
僕は田舎の育ち、高校は進学校だったが成績は下から数える方が早かった。
大学受験に失敗し、親との確執もあって東京の経理専門学校へ進学した。
時はバブル真っ最中、就職は掃いて捨てるほどあった・・・大学へ進学した同期達が2年後に就活した時は既に氷河期であったが・・・
東京でお世話になっていた方の紹介もあり、僕は全く知らない会社だった「地産」という会社に入社した。当時は日本全国でホテルやゴルフ場、不動産事業にリゾート、子会社も沢山ありちょっとしたコングロマリットを形成していた企業グループの親会社である。
当時僕はホテルマンを目指していた、その理由は仕事を聞かれて「ホテルマン」と応えれば響きが格好いいからという単純なものだった。
バブル全盛期とは言え、学歴社会である。学校で最優秀クラスは第一勧銀(現みずほ)とか山一證券、三洋証券などが就職先だったが専門卒の僕が入っても出世において大卒の連中を追い越すことは不可能とされる会社ばかりだった。
地産を選んだのは実力主義で成長途上の企業、学歴関係無しというところだった。
同期入社は150人位だっただろうか?うちホテル事業部は38人だった。
新入社員研修を終え、配属希望の時僕はどこでも良いとした。結果僕は38人中男2女2の本社勤務を命ぜられ、原宿明治通りにあった会社へ通うサラリーマンの日々がスタートした。
町田の寮から会社まで約2時間、新人は7時半(始業8時半)出社で全員の机拭きとお茶汲みを毎日だ。
仕事は会社の主計課や財務課とホテルの現場を繋ぐ経理関係の事務職だ。
本社配属の同期は何人も居たが、早い奴は3ヶ月で辞めた。
本社なので全国の事業所から電話が掛かって来る、しかも観光事業本部ホテル部とゴルフ部は同じシマなので電話も受けなくてはならない。
全ホテルの支配人と副支配人、そして全ゴルフ場のマスターとサブマスターの名前を覚えるまで電話は取らせてもらえなかった。
僕らの時代はそうやって鍛えられ、仕事を覚える前に覚えなくてはならないことが沢山あった。

やがて本部の仕事にも一通り慣れた頃、上司の勧めで僕は地元?松山で開業したばかりの現場に出た。鬼の支配人と恐れられた人の下で、更に鍛えていただいた。
鬼の支配人が先に転勤となり、次期支配人が赴任して来た。時代はバブルもはじけてどうしようもない時代、業績悪化に苦しむ会社。先行きの見えない会社に見切りをつけて入社3年で辞めた。
その後しばらくしてその会社は倒産した。

会社を辞めた僕は再び上京、ホテルの求人情報で2社から内定を貰い新規開業スタッフとして三井ガーデンホテル蒲田にもぐりこんだ。現場経理の仕事だったが程なくして本社経理へ移動、本社では親会社から出向して来ている人達と一緒に仕事をした。皆最高学府を出た優秀な人ばかりだ。もの凄く影響を受けた・・・発想が違う、実行力が違う、飲み方が・遊び方が違う・・・人種が違った。
三井不動産、日本の2トップの会社の実力をまざまざと見た。そして彼らから見た我々子会社孫会社というものも・・・
地産では会社が住まいを保証してくれた、三井とは言え孫会社にそんな余力は無い、東京で全生活費自己負担はキツかった。当時僕は車も持っていたから家賃と駐車場と生活費で給料は消えた。
人間関係もいろいろあり、希望の仕事も出来たり出来なかったり。
営業企画の仕事をしていた頃にはホテル全般の事をほぼ把握出切るようになっていた。PCのハードソフトと操作に強かった僕はどのセクションでも割と重宝がってもらった。
何時の間にか社内のPC管理者扱いで・・・それが僕にいろんな仕事と人間関係をもたらしてくれた。
同時に不幸も・・・
様々な不満を爆発させるのは簡単だった。
生かさぬよう、殺さぬように仕組まれているレールの上から逃げることにした。
そのきっかけは旅への憧れだった。

同僚達と北海道へツーリングに行った。日本では2日もあれば東京から稚内へ行ける。
走っても走っても目的地は尚遠い、そんな旅をしてみたかった。日常を離れ誰にも指示されず自分の思うままに旅をする、人生は一度きり、今やらなくて何時出来るんだ?
そんな想いが日に日に増して・・・1999年僕は実行した。

最初に考えたのはカナダ-アラスカを流れるユーコン川をカヌーで下るという旅だった。
でも季節は冬、ユーコンは凍りの世界だった。
南半球なら夏だ、そしてオーストラリアも英語圏だ、バイクで旅している奴は大勢居る、インターネットで見つけた旅日記の奴にメールを送りつけ会った。
帰国後にIT関係の会社を始めていた彼は「オレのHPを見て会いに来た奴は始めてだ」と大笑いした。
情報は揃った、期も熟した、あとは資金だ。
年末年始の宅配便の臨時バイトで資金を稼いだ。早朝から深夜まで荷物を配りまくった。
旅に出ている間のアパートの家賃も稼いでおかなくてはならなかったのだ。

そして1月・・・遂に僕は成田空港からオーストラリアに旅立った。



ケアンズの町は小さい、取り敢えず宿には一週間分のベッドを確保して町ブラして情報収集。
最初にやる事はバイクを買うことだったがそもそもバイク屋が少ない、そして高い。
OZではお店でモノを買うより、新聞に沢山出ている個人売買が盛ん、そこで少し時間をかけて探そうとベースを求めた。当時ケアンズのwater.st60に60`Sというシェアハウスがありそこへ潜り込んだ。
ここは日本人ワーホリのダイバーやバイカーが集まる場所でもあり、特に正月にケープヨークへ行くバイカー達のマシン整備基地みたいなとこだったのだ。
結局バイクは店で買った、古いスズキのGSX750E。脚は出来た、ヘルメットやキャンプ道具などは日本から持ってきてある、これで旅にでる準備はほぼ揃った・・・しかし・・・
僕は一時帰国しなきゃならない用があった。
ケアンズをベースに300kほど南下したミッションビーチにキャンプに行った。
OZではほぼどんな街にもキャンプ場があり皆利用している。
ここでは身の安全が約束されトイレや炊事場、シャワーの施設があるのだ。
ミッションビーチはとても綺麗だった、しかし殺人クラゲが出ているので遊泳はセーフティネットで仕切られた限られたエリアでしか出来なかった。
広い広いビーチの波打ち際でサッカーをやっている二人が居た。近付くと二人とも全裸だった・・・
ゲイだ・・・丁度シドニーでゲイ&レズビアンパレードがもうすぐあるのだ・・・

キャンプから戻ると60`Sにライダーが来ていた。
トオルとの出会いだった、タメ年で奴はシドニースタートでラウンド、2/3周してケアンズに来たら僕がミッションビーチへ行った後だったとか・・・
トオルはこれからシドニーへ戻り装備を売却して帰国、僕は用事を済ませに帰国してから南下スタート
シドニーでの再会を誓って僕は帰国した。
トオルは東京でバーを経営している。大学を出ていろいろやったが佐川急便で資金を貯めてバーを始めた、経営も順調に伸びて人も雇えるようになった。そこでOZラウンドに出かけて来たという、既にアメリカをR66で横断しているという。似たような奴はどこにでも居るものだ・・・

帰国して一週間、僕は再びケアンズに戻ってきた。
ビーサンにカバン1つという出で立ちは入国審査官も驚いていた。
60`sに預けていたバイクに装備を積み込み、シドニー、そして大陸一周を目指してBluceHWYを南下し始めた。






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Posted by ペーター at 02:23│Comments(5)旅日記
この記事へのコメント
ペタさん・・・残しておこう!
いいな・・・こんな記事こそ読みたい記事なんだな。
おいらも書く!
・・・気持ちの整理がついたら・・・どんな記事やねん!
Posted by タロー at 2008年12月20日 02:52
かっちょいいぃ~! 『片岡 義男』?だっけ? の短編みたい。 で、画は『わたせ せいぞう』さんが描く漫画みたい。 続きが待ち遠しいです。
Posted by MILKHALL at 2008年12月20日 06:59
タローさん
HP作ろうと早10年・・・一昔・・・いとをかし・・・

MILKマスター
続編ですが、えっと日記を読み返して・・・
Posted by ペーター at 2008年12月21日 01:30
頭の中で

Born to be wild 

が鳴り始めた
Posted by ちょもり☆ちょもり☆ at 2008年12月21日 09:24
ちょもりさん
まさにそんな感じでしたよー♪
Posted by ペーター at 2008年12月21日 19:01
 
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