2008年11月06日
再開拓

家の裏に広がっている原野の再開拓が始まりました。
ウチの家がある集落は戦後の開拓地です、多くの開拓者が入植し主に酪農を営んでいました。
農業経営が崩壊し、ほとんどの入植者が夢破れて去った場所でもありますが、家の裏にある隣の爺様が所有する土地は荒地のまま残されていました。
そこへ目をつけたのが宇佐のネギ農家達、宇佐は大分を代表するネギの産地化しており生産拡大しています。
彼らは宇佐平野の収穫と時期がずらせる高地栽培も始めており、飯田高原や塚原に進出してネギ畑を拡大していました。そして宇佐からだと程近いこの山の耕作放棄地を見つけて来たんです。
この山も「農業基盤整備」という名目で、今尚支払が続いている程多大な借金をして農地整備をしています。山を削り谷を埋めて広大な平坦な農地を作り出し、大型農業機械で大規模農業経営でウハウハになろう、そんな調子でした。
で肥えた表土を削り取り、荒れた大地と化した整備圃場(農場の事を圃場という)では作物は大して育たず、育ってもイノシシにやられ、結果借金の返済が滞るようになり悲劇に繋がったのです。
ウチは爺様の隠居生活だった為基盤整備には入っていませんでした。
裏の爺様も直前になって入るのを止めたそうです。
結果この谷は基盤整備をしないまま、昔ながらの黒土表土のまま残されました。
それから何十年・・・(きみまろ風に)
その黒土表土を求めたネギ農家さん達が数度に渡る交渉の末やって来ました。

わんことイノシシの遊び場と化していた原野に再び営農の日が訪れる。
大型トラクターにハンマーナイフを装着し、草木を粉砕。
一日で一見すると畑って風に変貌を遂げつつあります。
今冬までに土を起こし、来年の作付けの下準備です。
この画像の所だけで50mx50m位、2.5反位あります、全部で1町歩位は開墾するようです。
ネギ作りは斜面はダメで、平坦地だけ使うそうです。
次冬からはここで収穫されるネギのお裾分けにあずかれる?かな?