2008年05月03日

GSX750E

GSX750E
忍者の次は刀?
このバイク、一応所有していました、が、コイツで日本の道路を走った事はございません。

29歳の時に思うことあって会社を辞め、貯金と退職金と借金までして渡ったオーストラリア。
エアチケットとキャンプ道具のみでケアンズ空港で最初にやった事は「バックパッカーズの予約電話」でした。
そりゃ海外には行った事ありましたよ、学生の卒業旅行で初パスポート、そして姉の結婚式でハワイ。
でもそれだけ、英語ですか?とりあえずカタコトだけ、そんなんでも何とかなるし「何とかする」という意気込みでした。
ケアンズのバックパッカーズ、日本人のシェアハウスと渡りバイクを探す。
オーストラリアは日本と違って中古バイクも結構いい値段するし、バイクの数自体が多くないのです。
かくして私が購入したのがコレ、スズキGSX750E。誰ぞがツアーしたまんまらしくパニアケースが付いており空冷4発(CBRで空冷エンジンの強さを知っていた)でナナハンだったのが理由。
これから何万キロも走ろうってんですからそれなりのバイクでないと・・とその時は考えたんです。

かくしてオーストラリアのケアンズで入手したバイクを登録して大陸一周の旅をスタートさせたのでした。
ケアンズからはひたすら南下、東海岸などは後からでも幾らでも来られるだろうと思いとにかく走れ走れ走れでした。でも一日中走っても地図の上では数センチの移動でしかなかった。
そもそもあんだけの大陸のくせに、まともな地図が無いのにもビックリ、まぁ人も少ないので日本の住宅地図みたいな詳細な地図は必要ないっちゃーないんですが。
しかも道もハイウェイとされる2-4車線の一般道路をひたすら走るわけ、迷いたくても迷いようが無いほど簡単なルートです。迷うのは都市に入った時位でしたね。
シドニーに着いて東京ビレッジというバックバッカーズに滞在、シドニーは数日遊びました。
丁度メルボルンでF1開催の時期だったのでこれを観戦しようと出発、99年の3月私はメルボルンに居ました。メルボルンに着いてもホテルもYHAも宿は全てFULL、そりゃF1ですからね。
仕方ないのでキャンプ場(大体どの町にもオートキャンプ場がある)に行くけどここも満員と断られ、夜になって郊外(街から20km位はなれてた)のキャンプ場でフリーサイトの空き地に勝手にテント張って寝ました、翌朝キャンプ場の親父が「しょうがねぇなぁ」という感じでカネ取りに来ましたけどね。
そこにテント張りっぱなしにしてバイクでアルバートパークの公道サーキットに行ってチケット買って観戦する訳です。荷物は貴重品意外はバイクに積みっぱなし、バイクも道端のバイクが沢山止まっているとこに停めたけど特に何も盗られませんでした。
ここは公道サーキットでF1はレース終了後にコース開放、ええパドック前まで歩きましたよ。
そして翌日、コースの一部は撤収作業でしたがほとんどはそのままでした。一部壁が開けられていたのでそこから前日F1が爆走したコースに入ってバイクで走って遊べました、日本では考えられません。
誰からも咎められることもなく・・・いやーオージーサイコーって感じでしたね。
メルボルンからはグレートオーシャンロードを経由してアデレードへ、F1はメルボルン以前はアデレードの公道サーキットで行われており、故アイルトンの手形もあるとの事でお参り。
アデレードではGills.Stのラックサッカーズというパックパッカーに逗留。
アデレード入りする前日のキャンプ以来バイクのエンジンがおかしく1発死んでます。アデレードの親日兄ちゃんのやっている解体屋でチェックするとシリンダーが一発死んでました。ここで修理が必要で実に3週間もアデレードに居るハメに・・・私は宿のスタッフとして仕事して宿代をチャラにしてもらってました、電話も出るしフロントもやるし掃除もする、女の子達の部屋にも出入り自由(だって全室の合鍵渡されてんだもの)宿はおばあちゃん1人で切り盛りしていたので結構気に入ってもらってましたし居心地も悪く無かったです。
バイクを直して(腰上までエンジンばらして一発だけボアアップというとんでもない修理)リスタート、パースを目指してナラボー平原をつッ走るも日程が厳しく、今後バイク修理とかになると「航空券の期限までにケアンズに辿り着けない、しかねパースから北は人がすごーく少ない地域」という事でナラボーRHまでで挫折、少し戻って大陸縦断のスチュワートHWYにてエアーズロックを目指すことに。
GSX750E
ここはグレンダンボ、ひたすら直線のナラボー平原を走るインディアン・パシフィック鉄道(インパシ)、このインパシのレールに沿ってナラボーを横断できるダートルート「レールウェイ」の入り口の町
レールウェイはひたすら何も無い荒野を1週間ほどかけて走り抜けるルート、途中に人は数人しか居らず(昔は鉄道保守の人が住んでいて食料やガソリンの補給が可能だった、今は不可)このルートを走破するには数千キロ分のガソリンと水と食料とスペアタイヤなどを全て持っていかねばならない。
途中のクックの町(人口2-3人?)から数百キロ南下してナラボーRHのスタンドで補給が唯一。
私が当時で知っているのは燃費の良いヤマハのセローで燃料ギリギリ突破して来た日本人が居ました、ビックタンク+予備燃料40L抱えてです。
人工的な光ひとつなく、360度の天体を眺めてのキャンプは最高だそうです、ただ万が一事故に遭うと生存率は低いです。ここは数ヶ月誰も来ない場所、最悪の場合数日に1両走ってくる列車に助けを求めるしかないのですが、これやると数千万円請求されるらしいです。
いつか挑戦してみたいですねぇ。

スチュワートHWYをひたすらエアーズロックへ、ここも観光ツアーと違って自由に行動できるので夜のエアーズとか黄昏のエアーズとか楽しめました。マウントオルガ(風の谷)とキングスキャニオンも散策、基本的に砂漠です。
そんなかんなでダーウィンまで行って「マタランカ」の温泉川も浸かって、キャサリン渓谷で沈没したりして一応無事に今日生きてたりします。

GSXは旅を終えて買ったバイク屋に売りました。安く買い叩かれたけど日本に持ち帰る気もしなかったし売る相手も居なかったし。結局約3ヶ月の滞在で2万数千キロを走ったバイクでした。

この記事を読んだ方の中にはまだ独りモンとか学生君とか居るでしょう、彼らには「独りで海外を旅する、しかも出来るだけ長く」をお勧めしておきます。
既に家庭を持ち、こんなマネは絶対に出来ないというアナタ「ご愁傷さまでございます」
私30を目前に一大決心での旅でしたが、今も尚「行ってヨカッタ」とつくづく感じております。

オーストラリア、でっかいけどいいトコですよー、しがらみが無ければ移住してもいい。
つーかトトBIGかジャンボ宝くじ当たったらマジで考えよう。

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Posted by ペーター at 00:41│Comments(0)クルマノコト
 
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