2010年02月09日

厄年なので田舎にて

厄年なので田舎にて
厄年なので実家の田舎へ帰りました・・・
田舎は・・・
海のムコウです。
別府-三崎航路が廃止されて随分ですが、やはり佐賀関周りは佐賀関まで行くのが面倒ですね。
でもまぁお約束の煙突っと・・・

厄年なので田舎にて
さらば九州・・・って直ぐに帰ってくるけど・・・
逆光ですね

厄年なので田舎にて
豊後水道はベタ凪、穏やかな海です。

厄年なので田舎にて
佐田岬・・・
今から65年前、佐賀関-三崎は日本海軍の本拠地「呉」を守る要所でした。
半島は要塞化され、入り江には駆逐艦、半島に掘られた壕には魚雷艇などおよそこうやって人々が近づける場所ではなかったようです。
そして戦艦大和など多くの連合艦隊艦船がこの豊後水道を南下して出撃して行ったのですね。
佐田岬半島は日本の地形でも特異な「中央構造線」そのものであり、その土中は銅鉱床です。
ゆえに半島を掘ればあちこちで銅鉱石が採れます、その銅を精錬する工場は、四国沖合いの高島(藤田洋三著世間遺産)にあったのですが、大規模化に伴い四国ではなく佐賀関に精錬所が設けられました。
多分当時、文化的にも経済的にも最先端であった四国川の石が公害を嫌って九州へ追いやったのだと勝手に解釈しています。川の石は四国で最初に電灯が点った地であり、伊予銀行発祥の地です。

厄年なので田舎にて
三崎から佐田岬メロディラインを走り、最初に現れる町らしい町、まさにそこいらが私の庭です。
R197から少し山に入った町です。
景色は子供の頃とほとんど変わっていませんね、変わったのは・・・
バス停が無くなっていました・・・多分バスも廃止されたのでしょう。
過疎&高齢化の町ですからね。

厄年なので田舎にて
子供の頃によく遊んだ川はほぼ当時のまま・・・
水は上流のタオル工場とか無くなり、下水の流入も減って綺麗になってますね。
小さい川ですが、ホント魚釣りしたり、禁止されていた水遊びしたりしてました。

ハヤ、ツガニ、どんこ、ウナギとか獲れるんです。

厄年なので田舎にて
町は両側に山、谷間の町です。
山は両側とも段々畑、天までミカン畑と化しております。
我が家も山の斜面にへばりつく様に横へ伸びる集落の端にあります。
この画像にも写ってます。

厄年なので田舎にて
実家の上から撮影、山の谷間でしょう?
向いの山の向こうは海です。

でこの時期に「ふるさと祭り」という田舎の祭りが行われます。
厄年の男は、この祭りに当って神社で厄払いを受け、鏡割りして酒を振舞い、菓子や餅等を振舞う役があり、厄年ゆえ同級生からお呼びがかかった、という訳です。ついでに男だけで同窓会しようと。
まぁ普段は地元に居ないし、厄払いも済ませているのでこちらは辞退させてもらい、同窓会だけ参加したんですけどね。

そもそも同級生の男は21名・・・・
小学校は1クラスでした・・・幼稚園から高校までずっと一緒だった連中もかなり居ます。
1人亡くなっているので全員で20名、同窓会に集まったのは12名、かなり地元に残っています。
職人だったり農家継いでたり、役所とか先生とか・・・
数年前から同窓会やるようになったので、数年ぶりの再会ではありますが、そもそも幼小中とずっと一緒に育った訳で、ある意味兄弟みたいなもんですね。
でも20年ぶりに会う奴も数名。
まっ皆いいオッサンになっちまってる訳で、同級生の一人がやっている居酒屋で日曜の夕方から宴会やってた訳です。
飲んでた焼酎が「とっぱい」だったのは痛かったです。

翌日は今年で3桁の婆さんを見舞いに病院へ・・・
既に退院してました、おいおい、グループホームに戻っているんならそう言えよオヤジ
病院ハンパなく遠いんだから・・・

厄年なので田舎にて
で空振りして帰る途中に盛大な煙・・・
ん?何か燃やしているにはオカシイナ・・・
蒲江のようなリアス式海岸なので、岬を廻ると対岸が見えるわけですが、盛大な煙の向こうに炎が・・
火事ですわ。
通報しようかと思って見ていたら、最初の消防団が駆けつけたのが見えました。
といってもですねぇ・・・
現場って叔父宅の数件隣やん・・・こらまたヤバそう・・・つーか、さっきあの火元の家の前通ったぞい。

厄年なので田舎にて
少し近づいた道沿いに綺麗な女性を発見
高校の同級生・・・彼女も割りと最近会ってたから普通に立ち話・・・
そんなこんな消防車は大挙して来るし、パトカーも救急車も来る。
放水が始まると同時くらいに手前の家に延焼して燃え始めました・・・
ある程度火が収まったので、山伝いに反対側へ抜けて叔父宅に・・・
叔母が家の前に居ました、向こうもビックリ
5軒隣が火元で、3軒隣まで延焼した様子でした。
画像に写ってる消防車のトコまで行って見てきちゃいました。
流石に写真は撮れませんでしたけど・・・
叔母は当然火元住人も知ってるわけで・・・
なんだかブログネタ満載のプチ帰省でした。




同じカテゴリー(山暮らし)の記事画像
ボイラー交換
15年目の山暮らし
おひさしぶりーふ
大雪ですねぇ
由布岳
かもめ食堂
同じカテゴリー(山暮らし)の記事
 2022まだ山にいます (2022-06-07 22:12)
 ボイラー交換 (2020-01-07 21:56)
 三寒四温 (2019-03-16 01:11)
 15年目の山暮らし (2018-01-04 00:39)
 おひさしぶりーふ (2017-11-18 00:08)
 大雪ですねぇ (2016-01-26 01:54)

Posted by ペーター at 00:00│Comments(6)山暮らし
この記事へのコメント
岡山に帰省するのに、いつも佐賀関三崎経由で行きますが、とにかくみかんの類がいっぱいあるのが印象的です。そして山と海の絶景がとても素敵ですね。いつも通過するだけなので、たまには少し遊んで行きたいなと思います。
Posted by せさみん at 2010年02月09日 08:40
子供の頃
イカタ原発反対の署名を
集める活動に共感&協力し
紙を片手に
せっせとインターホンを
押しまくってたのを
思い出しました。

あの時見た地図で
大分と四国が
めっちゃ近い事を
改めて知りました!

いい所にお住まいだったんですね〜(o^-^o)

叔父さん宅まで燃えなくて何よりでした(^_^;)
Posted by yasu at 2010年02月09日 10:04
せさみんさん
ここは日本一の柑橘生産地です。
戦後の成長期に田んぼの出来ない中山間地に段々畑で柑橘が大量に・・・・
昔ほどの生産量はありませんが、いまやコレしかありません。
景色は良いのですが「他には何も無い」とこです。原発はあるけど・・・

yasuさん
あの風景画像の一番向うの山の向う向うに伊方原発があります。直線距離では10キロ程度しか離れていないと思われます。
大事故が起きれば不毛の地となります。
国東や佐賀関から見ると四国は「すぐそこ」ですからね。
私にとっても実家とココはスグソコって感覚です。
でも今あの地域は原発のもたらす経済で成り立ってますから・・・
Posted by ペーター at 2010年02月09日 10:35
以前なんどか走った事ありますよ〜
風車とかあったような・・・それとネズミとりに引っかかりかけた記憶が・・・
Posted by ますたースカイウォーカー at 2010年02月09日 14:41
私も高知に帰る時は別府ー八幡フェリーをよく利用します。
別府ー宇和島が無くなって不便です。
もう、何年も帰ってないな~
Posted by とみ at 2010年02月09日 21:26
ますたー
そうそう、あのルートは信号少ないのでネズミはご注意ですよー、何人も死んでますからねー。

とみさん
人間だけだと別府-八幡浜ですね
車だとやっぱり節約で三崎です。
昔は宇和島発もありましたねー
Posted by ペーター at 2010年02月09日 22:13
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。