2010年01月24日
Welcome to Macintosh
ヲタラジのテーマにmacが挙がっている。
今でこそ誰もが知っているマッキントッシュ、昔はキットカットの方が有名でしたね。
まだパソコンという言葉が無かった時代、ファミリーコンピューター(ファミコン)が登場した1983年に僕は最初のコンピュータSHARP X-1Dを中古で買って貰った。確か中学の入学祝だったと思う。買ったのは今もなおある埼玉のロヂャース・・・・
CPUはMZ-80Aたった4Mhz・・・メインメモリ64k・・・3インチフロッピー搭載機だった。HDDは・・・無い
3インチフロッピーは富士通やソニーが進めた3.5インチフロッピー(今も使われてる奴)に駆逐された。
その後5インチのフロッピードライブを搭載したX-1turbo2
だから僕はファミコンを持っていなかった・・・まぁ体育会系バリバリでしたからね。
専門学校で習ったのはコボルとフォートランだった。
社会に出てオフコンに8インチフロッピーという世界に踏み込んだ。ノートパソコンとは呼ばれなかった、ラップトップコンピューターだと・・・
転職した会社のオフィスで初めて出会った洋モノパソコン、それがマッキントッシュとの衝撃的な出会いでした。
Centris610-CPU68LC040-20Mhz メモリ16M(のち32M)というスペック
今までNECのオフコンでマルチプランという表計算ソフトを多用し、やっとロータス1-2-3の操作を飲み込んだ頃に出会ってしまったExcelの衝撃
ワープロと計算ソフトの融合、これでバリバリ仕事しましたねー
ちなみに当時は窓際族3.1が出たころで、当然マイクロソフトエクセルはマック専用ソフトです。
エクセルはマイクロソフトがマックの為に開発した表計算ソフト
だからWinバージョンは移植されたVer4.0以降しか存在しません。
会社には他に富士通のFM-8とかNECの98シリーズも使われていましたが、専らマック使ってました。
起動すると表示される
Welcome to Macintosh
の文字がたまらんかった・・・お正月になると
Happy New Year
と正月勤務を和ませてくれたし・・・
本社に異動すると様々なMacが導入されていて(それが親会社から出向して来たヲタくM氏の差し金だったとは後に知る)、当時いろいろと詳しくなっていた私は重宝がられて仕事も・・・
当時のマックは電話線を使ってPC同士を繋いでLANを組める機能が標準装備でした。
「ApplTalk」コレを使ってマック同士を繋げ、そしたらいちいちフロッピーにデータ書かなくても相互にいじれる(当時はPCはスタンドアローンで使うのが当たり前で、大きなデータのファイルは数枚のフロッピーに分割したりと何かとファイルのやり取りが面倒だった)
秋葉原に電話線とモジュラ端子と圧着工具を買いに行って(オフィスは隣駅の神田)、残業して数台のマックを繋ぎましたよ。
そりゃ上司の評価ポイント高かったですねー、システムダウンも全部リカバリとかやってたし。
この頃にいじってたMacはQuadra610、Centris650とかの68040系マシン
ちなみにモトローラ社のプロセッサー68LC040と68040の違いはチップ内にFPUユニットがあるかないか、FPUユニットとは浮遊小数点演算ユニットのことです。10/3=3.33333・・・この小数点以下の計算を担当する訳
当時マックはシステム6に日本語対応の漢字パッチを当てたOSか、登場した漢字Talk7のシステム
そして漢字Talk8-9と進化して現在のMac-OS-Xシリーズになる。
システムがCD化されたのはシステム7から。
システム7ではイーサネットがサポートされてLAN機能が強化
マックも初代PowerMacintoshとなりCPUはPowerPC601-66Mhz メモリ64MでHDD340Mとかの時代
インターネット接続の為にApplTalkの電話線が横取りされる事になり、変わりにイーサネット(今のLANケーブル)によるLANに敷き変え、ハブを使うようになった。
LANポートを持たないマシンには、SCSIポートからLANポートに変換できるトランシーバーを付けたりも。
まぁ日本一の不動産会社の子会社、かつ出向組がバンバン決済してくれたからこんなにドカドカマックを買ったり部品買ったり出来てた訳ですが、今考えるとあれほどの企業であれほど自由にいろいろ出来たのもオカシナ話。
まぁマックを皆が使い始めた事で仕事量は増えたし、そうしたらマシンも1人1台体制にしないと追付かないし・・・でもそんな予算はないし(当時はPC高かった)、だから中古を買ってましたもんね。
秋葉原の秋葉館とかソフマップとか廻って安くて使える中古捜して、会社の決済とってもちろんメモリ増設とかもして・・
ポイントは全部頂いちゃったしねぇ
この頃初めて自分のお金でパソコン買いました。
LC-575 68040-33MhzでCDを搭載していたマシン、やがて会社の上司に譲って次に買ったのがマック互換機(ああ懐かしい互換機の時代)パイオニアのLX-100だったけかな?
本体下にパイオニアのスピーカーが付いてて音がいいマックでした。
ノートのPowerBook190Cとか買ったりしましたが、やはりスピード重視で中古のPoweMac7100AVを購入、コレは今でも持ってます。
まっマックもG3時代になりiMac登場、買いましたよiMac、今でもあります。
7100AVもG3カード差してパワーアップ、CDドライブもCD-RWにスワップしてあるし・・・
今仕事で使っているメインはDellの窓際族ワークステーション
そして傍らに暫く眠ったままのMacが1台・・・・
PowerBookG4
初代チタニウム OS-9.4
僕のマックはここで進化が止まったまま・・・
ああ、カラクラ2にアルケミーぶち込んでG3カードの最強カラクラ作りたかったなぁ・・
今でこそ誰もが知っているマッキントッシュ、昔はキットカットの方が有名でしたね。
まだパソコンという言葉が無かった時代、ファミリーコンピューター(ファミコン)が登場した1983年に僕は最初のコンピュータSHARP X-1Dを中古で買って貰った。確か中学の入学祝だったと思う。買ったのは今もなおある埼玉のロヂャース・・・・
CPUはMZ-80Aたった4Mhz・・・メインメモリ64k・・・3インチフロッピー搭載機だった。HDDは・・・無い
3インチフロッピーは富士通やソニーが進めた3.5インチフロッピー(今も使われてる奴)に駆逐された。
その後5インチのフロッピードライブを搭載したX-1turbo2
だから僕はファミコンを持っていなかった・・・まぁ体育会系バリバリでしたからね。
専門学校で習ったのはコボルとフォートランだった。
社会に出てオフコンに8インチフロッピーという世界に踏み込んだ。ノートパソコンとは呼ばれなかった、ラップトップコンピューターだと・・・
転職した会社のオフィスで初めて出会った洋モノパソコン、それがマッキントッシュとの衝撃的な出会いでした。
Centris610-CPU68LC040-20Mhz メモリ16M(のち32M)というスペック
今までNECのオフコンでマルチプランという表計算ソフトを多用し、やっとロータス1-2-3の操作を飲み込んだ頃に出会ってしまったExcelの衝撃
ワープロと計算ソフトの融合、これでバリバリ仕事しましたねー
ちなみに当時は窓際族3.1が出たころで、当然マイクロソフトエクセルはマック専用ソフトです。
エクセルはマイクロソフトがマックの為に開発した表計算ソフト
だからWinバージョンは移植されたVer4.0以降しか存在しません。
会社には他に富士通のFM-8とかNECの98シリーズも使われていましたが、専らマック使ってました。
起動すると表示される
Welcome to Macintosh
の文字がたまらんかった・・・お正月になると
Happy New Year
と正月勤務を和ませてくれたし・・・
本社に異動すると様々なMacが導入されていて(それが親会社から出向して来たヲタくM氏の差し金だったとは後に知る)、当時いろいろと詳しくなっていた私は重宝がられて仕事も・・・
当時のマックは電話線を使ってPC同士を繋いでLANを組める機能が標準装備でした。
「ApplTalk」コレを使ってマック同士を繋げ、そしたらいちいちフロッピーにデータ書かなくても相互にいじれる(当時はPCはスタンドアローンで使うのが当たり前で、大きなデータのファイルは数枚のフロッピーに分割したりと何かとファイルのやり取りが面倒だった)
秋葉原に電話線とモジュラ端子と圧着工具を買いに行って(オフィスは隣駅の神田)、残業して数台のマックを繋ぎましたよ。
そりゃ上司の評価ポイント高かったですねー、システムダウンも全部リカバリとかやってたし。
この頃にいじってたMacはQuadra610、Centris650とかの68040系マシン
ちなみにモトローラ社のプロセッサー68LC040と68040の違いはチップ内にFPUユニットがあるかないか、FPUユニットとは浮遊小数点演算ユニットのことです。10/3=3.33333・・・この小数点以下の計算を担当する訳
当時マックはシステム6に日本語対応の漢字パッチを当てたOSか、登場した漢字Talk7のシステム
そして漢字Talk8-9と進化して現在のMac-OS-Xシリーズになる。
システムがCD化されたのはシステム7から。
システム7ではイーサネットがサポートされてLAN機能が強化
マックも初代PowerMacintoshとなりCPUはPowerPC601-66Mhz メモリ64MでHDD340Mとかの時代
インターネット接続の為にApplTalkの電話線が横取りされる事になり、変わりにイーサネット(今のLANケーブル)によるLANに敷き変え、ハブを使うようになった。
LANポートを持たないマシンには、SCSIポートからLANポートに変換できるトランシーバーを付けたりも。
まぁ日本一の不動産会社の子会社、かつ出向組がバンバン決済してくれたからこんなにドカドカマックを買ったり部品買ったり出来てた訳ですが、今考えるとあれほどの企業であれほど自由にいろいろ出来たのもオカシナ話。
まぁマックを皆が使い始めた事で仕事量は増えたし、そうしたらマシンも1人1台体制にしないと追付かないし・・・でもそんな予算はないし(当時はPC高かった)、だから中古を買ってましたもんね。
秋葉原の秋葉館とかソフマップとか廻って安くて使える中古捜して、会社の決済とってもちろんメモリ増設とかもして・・
ポイントは全部頂いちゃったしねぇ
この頃初めて自分のお金でパソコン買いました。
LC-575 68040-33MhzでCDを搭載していたマシン、やがて会社の上司に譲って次に買ったのがマック互換機(ああ懐かしい互換機の時代)パイオニアのLX-100だったけかな?
本体下にパイオニアのスピーカーが付いてて音がいいマックでした。
ノートのPowerBook190Cとか買ったりしましたが、やはりスピード重視で中古のPoweMac7100AVを購入、コレは今でも持ってます。
まっマックもG3時代になりiMac登場、買いましたよiMac、今でもあります。
7100AVもG3カード差してパワーアップ、CDドライブもCD-RWにスワップしてあるし・・・
今仕事で使っているメインはDellの窓際族ワークステーション
そして傍らに暫く眠ったままのMacが1台・・・・
PowerBookG4
初代チタニウム OS-9.4
僕のマックはここで進化が止まったまま・・・
ああ、カラクラ2にアルケミーぶち込んでG3カードの最強カラクラ作りたかったなぁ・・
Posted by ペーター at 01:19│Comments(2)
│マック&窓際族
この記事へのコメント
4年前に初めてPCを触った初心者です。
今もG4で頑張ってます。アップルのmacintoshも好きだしAudioのmcintoshも好き。
昔着てたコートもマッキントッシュ。
今もG4で頑張ってます。アップルのmacintoshも好きだしAudioのmcintoshも好き。
昔着てたコートもマッキントッシュ。
Posted by ますたースカイウォーカー at 2010年01月24日 19:25
ますたーさん
G4でも最近の奴なら大丈夫ですよー
ウチのG4は初代なのでCPUクロックが400Mhz・・・
今時のは1Ghzとか2Ghzですから・・・
PowerPCG4プロセッサーマシンはパワーブックですが、インテルプロセッサーのマシンからMacBookに名前が変わりましたね。
ウチのはもう10年落ちです。
G4でも最近の奴なら大丈夫ですよー
ウチのG4は初代なのでCPUクロックが400Mhz・・・
今時のは1Ghzとか2Ghzですから・・・
PowerPCG4プロセッサーマシンはパワーブックですが、インテルプロセッサーのマシンからMacBookに名前が変わりましたね。
ウチのはもう10年落ちです。
Posted by ペーター at 2010年01月25日 21:12