2009年11月27日

開拓魂

「日出の山に住んでいます」
「山ってどこかえ?」
「柏川ってトコですよ」
「そんなトコ知らんなぁ・・・」
ここは、そんな場所

開拓魂
昭和30年
満足に道も無い別府湾を見下ろす経塚山山頂部
日出町南畑と豊岡の一部から旧山香町に亘り
柏川開拓、柏川第二開拓という名前の二つの開拓地が出来た。

太平洋戦争に敗北し、大陸(満州や朝鮮半島)や台湾、樺太などから大量の引揚者が帰ってきた。
そういう人々や軍人など行く当ての無い者達に「開拓地」が用意され、田を分けてもらえない農家の次男坊以下もまた夢と希望を抱いて開拓地へ入植した。
そんな場所は日本の至るところにあった。
湯布院の塚原も、ココも、日出のハーモニーランド一帯も杵築の山のあちこちも・・・みんな開拓地

隣の爺様が四国の三瓶から入植したのは25歳の時だそうだ。
機械の無い時代
大鋸で木を切り倒し、大鎌で藪を刈り払い、材木を人力で運んで掘建て小屋や牛舎を建て、放牧地を作って酪農が始まった。
漁師だった爺様は農業はチンプンカンプン、なかなか上手く行かない仕事に必死で働いたそうだ。
別府湾岸とはいえ標高は500mを越える場所
冬にはマイナス10度まで下がり、真冬日が続く土地
雪に閉ざされ、黒土に足元を掬われる土地
過酷過ぎる土地に耐えられず、多くの入植者が山を下りた。
行く当てのない爺様たちは山にしがみついて生きる他なかった。

苦難の連続だったと思う。
楽しいことなんて無かったのではないかと思う。
別府が華やかりし時代、その山の上では泥水すすって必死に生きていた人達が居たのだ。
牛がダメになり、爺様は豚にスイッチして生き延びた。
経営が軌道に乗っても、連帯責任の元、他人の分の借金まで肩代わりして支払い、それでも何とか自分の家を建てた。
開拓始まって以来、後にも先にも一代目で家を新築したのは爺様だけでした。
その爺様の家の床の間に誇らしげに下げられている掛け軸
「開拓魂」
新築を記念して爺様が書家に書いてもらった書を軸にしたものだとか・・

諦めないで頑張って、成功を収めた代償に爺様は倒れ、半身麻痺を患った。
この山で頑張った54年間

幼い頃から山へ遊びに行くと、必ず爺様の家にも顔を出し、これを食えあれを飲めと可愛がってもらっていました。
身内でもなく、たまにしか来ない僕らの事をいつも優しく受け入れてくれた爺様。
人が減る一方の山に家を建て、僕が柏川に居座ることを決めた時、爺様も喜んでくれていたようです。

爺様長い間お疲れ様でした、ゆっくりと休んでくださいね。


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Posted by ペーター at 01:04│Comments(0)山暮らし
 
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