ブログでもたまに更新しているオーストラリア旅日記
既に10年前の出来事ではありますが、当時に知り合った連中の何人かとは今だに音信があります。
そんな1人から届いた年賀状には
「ラックは無くなってるけどマーガレットは元気でしたよ、先月電話しました」
と書かれていた。
257 Gilles Street, Aderaide, S.A
ラックサッカーズ・バックパッカーズ
「地球の歩き方」にも載っていた?日本人には有名な宿の1つでした。
というのもこのバックパッカーズは既に閉店してしまっているからです。
オフロード雑誌「BackOff」等に執筆されている加曽利さんとか、当時は無名だった「もんがぁさとみ」さんとかもここの宿の常連さんでして・・・
というか西オーストラリアと南オーストラリアの間にあるナラボー平原を越える日本人ライダー達のほとんどが集まった宿でした。
それはひとえに日本人好きのマーガレットおばさんの人となりでした。
もちろんライダー以外のツーリストも多く来てましたけどね。
バイクのトラブルでアデレードで足止めを余儀なくされた私は、マーガレットおばさんにそれはそれはお世話になったものです。
そして私の後に世話になっていた彼は、今だ連絡をとっているそうな・・・
電話しても彼女とマトモに会話できるだけのボキャブラをもう私は持っていない・・・
バイク修理と部品待ちで約3週間滞在した街「アデレード」人口50万の小さな街でしたが州都ですからね。
3週間も宿賃を払ってられない私が支払った宿代は最初の数日分だけ。
残りは宿の仕事を手伝うことでツーペーにしてもらってたんです。
「フリアコ」(フリーアコモデーション)って奴ですね。
観光ビザで入国している私などはワーホリと違って就労できません、なので賃金を貰わない代わりに宿代と食事代などをタダにしてくれるという事なのです。
仕事は共用キッチンの掃除とシャワールームの掃除、リビングと各部屋の掃除
ベッドシーツの洗濯と交換などです。
なぜかフロント業務(ちゃんと電話もとってましたしチェックインもアウトも・・・)
当時は一応プロ辞めたばかりでしたから何てこたぁなかったですね。
当時のマーガレットおばさんは一緒に宿を切り盛りしていた旦那さんに先立たれ、1人での切り盛りが大変な時期だったらしく、私のフリアコの申し出を快く受けてくれ、後に続いた彼もまた同じく・・でした。
彼もアデレードでバイクをぶっ壊したんです。
私の現在の人生観に大きな影響を与えてくれたマーガレットおばさん
宿がなくなっていると聞いた時には、もしかして・・・と思ってました。
今は多分80歳越えとかでしょうからね。