ブラウンGPフォーミュラワン チーム誕生

ペーター

2009年03月06日 20:21

報道されている通り、ホンダF1レーシングはマネジメント・バイ・アウトによりロス・ブラウン氏に売却され、ブラウン・グランプリ・フォーミュラワン・チームが誕生しました。
エンジンはメルセデスでドライバーは下馬評通りバトンとバリチェロです。
ホンダF1時代にスポンサーを引っ張って来れず、アグリに意地悪したりした割には使えない奴だったニック・フライはホンダ時代の財務・営業面の総責任者にはならない模様、そりゃそうだ。

でロス・ブラウンって誰?
ブラウンは76年にレース界に入り元々メカニックです。
F3チームから78年にウイリアムズ入り(ウイリアムズは77年設立)、ウイリアムズ・ホンダ(Canonスポンサー)時代に新しいチームに移籍、そのチームは2年で撤退。
87-89年はアロウズ(後にフットワーク・アロウズとなり鈴木アグリが90年日本GPで3位表彰台に上がる)に在籍、TWRに移籍後91年にベネトン入り。
91年・・・つまりアグリが日本Gp3位だったレース、優勝はベネトンのネルソン・ピケ(ピケJrのパパ)2位はロベルト・モレノ・・・日本GPベネトン1-2の翌シーズンである。
ここから彼の華々しい人生が始まる・・・
当時のベネトンは奇才ジョンバーナードデザインのマシンに辣腕フラビオ・ブリアトーレ(現ルノーF1)のマネジメントでルーキードライバーのミハエル・シューマッハとピケという布陣。
ジョンバーナード脱退後に復帰するロリー・バーンらと仕事をする。
92年にはシューマッハ、ロリー、ブラウンの黄金コンビが誕生、チームががぜん強くなる。
94年に燃料給油ルールが復活し、この年日本企業JTがスポンサードするマイルドセブン・ベネトンはシシューマッハの走りでタイトルを獲得。95年も連続タイトル、コンストラクターズも制す。
96年にシューマッハがフェラーリ移籍、これを追うようにバーンとブラウンも移籍。
以降フェラーリとシューマッハの黄金期を築くことになる。

フェラーリ時代、シューマッハの優勝が確実視されると、コースサイドに吊るしてあるバナナを食べることから「バナナおじさん」と呼ばれ、ブラウンがいつバナナを食べるかによって解説陣が一喜一憂していたものです。

シューマッハ引退後に1年の休養のちフェラーリには復帰せず、ホンダのチーム代表に就任。
彼の周りにはF1裏路地の人脈がギッシリな訳ですね。
特に彼のピット戦略におけるレースマネジメントの上手さは、ブラウン離脱後のフェラーリのピット戦略の不甲斐なさによく現れています。

そんなブラウンが自ら立ち上げた?新しいチーム、ホンダの遺産を受け継ぐクルマでどこまで戦ってくれるでしょうか?
開幕が楽しみですね、最もこれからマシンをシェイクダウンでは開幕数戦はレースにならんと思われますが・・・

一方でルノーF1は撤退の可能性も示唆しているそうです。
来年は新チームUSグランプリ・エンジニアリングの参戦もとりざたされており動向が気になるところです。


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