TVゲームといっしょに

ペーター

2010年05月23日 01:48

思えばテレビゲームの歴史と僕らの思春期はクロスしている。
子供の頃、アメリカのアタリというメーカーのテレビゲームがほとんど初だったように覚えている。
その少し前にタイトーが「スペースインベーダー」ゲームを開発、一世を風靡してしまった。
今のiPhoneとかのブームの比ではない、皆インベーダーゲームに狂喜していた・・・
そして本格的なアーケードゲームの時代に・・・
ポスト「インベーダーゲーム」として登場したナムコの「ギャラクシアン」のちに「ギャラガ」に発展
似たようなシューティングゲームが沢山出てくる中、異彩を放ってデビューして世界的大ヒットしたのがナムコの「パックマン」でした。

ゲームの世界は「花札」「トランプ」で牛耳っていた任天堂に、ナムコ、タイトー、セガ・エンタープライゼスなどのテレビゲームメーカーが参入、そして任天堂も「ドンキーコング」などのアーケードゲームで参入。
僕らはまだ小学生の頃でした。
別府の商店街には沢山ゲームセンターがあったような・・・ゲームセンター「あらし」なんて漫画も・・
商業用アーケードゲームを家庭で楽しめる環境は無く、当時のマイコンブーム時代のコンピュータの性能では再現不可能でした。
やがて任天堂から「ファミリーコンピューター」が発売され、マリオブラザースなるソフトが登場。
ナムコは様々なアーケードゲームを発売して急成長、マッピー、ディグダグそして「ゼビウス」

マイコンの性能も上がったけど、アーケードゲームがスムーズに出来るのは一部のハイエンドマシン位で、富士通FM-77とかシャープX1-TURBO、PC-88mk2あたりにならないとアーケードゲームをスムーズに再現とか出来ませんでした。
MSXとかもあったけど結局普及せず、唯一普及したのはソニーが世に出した3.5inchフロッピーですね。
ファミコンではドラクエなどRPGというジャンルが確立され、後にシリーズ化されて大ヒットするように
RPGのド初期なんて「デゼニランド」とか静止画にキーワード入力しかでしたからね。マウスの無い時代です。アメリカでヒットしていたRPGのウルティマとかの時代・・・

スーパーファミコンが登場し、セガのファミコンとかでアーケードゲームが家庭で普通に楽しめるようになったのは90年代になってから。

アーケードゲームもフライングシュミレータ的なアフターバーナーとか、それが360度グルグル廻る仕様とかバブリーでした。ドライブゲームもシートが動くようになり、ゲームは座ってするものから一緒に体を動かすようになったり・・・
コンピュータがマイコンからパソコンと呼び方が変わる頃には、PCでアーケードゲームを再現する事は容易になりました。
丁度PC-98全盛のパソコン鎖国時代が崩壊し、DOS/Vという黒船が登場する頃です。20歳位でした。
しんけんにDOS/VでPC/AT互換機ビジネスをやろうかと思ってました・・・
DOS/Vは、当時漢字ROMによって日本語表示させていた国内メーカーPCの絶対的優位条件を覆し、漢字ROMのデータはハードではなくソフトウェアで処理できるようにした、だからアルファベットしか使えなかった外国のPCでも、MS-dos上にDOS/vをインストールすることで、日本語を表示させる事が可能となり、PCのマルチリンガルを推進。
マッキントッシュも英字だけだったシステム6を漢字Talk6として日本語に対応
やがてWindows3.1、Windows95が登場してNECや富士通が支配していたビジネスPCの絶対的シェアをIBMやコンパックなどが切り崩す・・・そしてMacの国内浸透
当時全盛を誇っていたワープロソフトの「一太郎」表計算の「ロータス123」は、マイクロソフトのOS支配の牙城の前に「ワード」「エクセル」といったOFFICEに駆逐

うーん僕らってテレビゲームから始まって、今のコンピューターの進化と成長時代が一緒やねんなー
データレコーダー・・・音響カプラ・・・懐かしい響き・・・
ぴー♪ひゃーららららららららぁ♪ごぎゃんごぎゃんごぎゃん♪





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